26 小倉山峰の紅葉葉心あらば いまひとたびのみゆき待たなむ
貞信公・藤原忠平
公卿。藤原基経の四男。延喜の治と呼ばれる政治改革を行った。朱雀天皇のときに摂政・関白になる。以後、村上天皇の初期まで長く政権の座にあった。
現代語訳
小倉山の峰の美しい紅葉の葉よ、もしお前に情があるならば、もう一度天皇がおいでになる(行幸される)まで散らずに待っていてくれないか。
文法・語
「あらば」-「動詞の未然形+接続助詞“ば”」で順接の仮定条件
「今ひとたびの」-『拾遺集』の詞書によると、宇多上皇が大堰川に御幸された際、その景色を子の醍醐天皇にもお見せしたいとおっしゃったことを受けて、天皇の義理の兄である藤原忠平(貞信公)がこの歌に託して奏上したという
「みゆき(行幸)」-天皇が訪れられること。上皇・法皇・女院は「御幸」
小倉山 MAP
京都市右京区の山。大堰(おおい)川をはさんだ嵐山の対岸。ふもとに藤原定家の別荘「小倉山荘」があり、定家がこの地で百人一首を撰定したことから、後に『小倉百人一首』と呼ばれるようになった